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2月, 2021の投稿を表示しています

恐怖1

 ひどく怖かった。 デスクの灯りをつけて、なにか楽しいことを考えようと思ったが、どうしてもできなかった。風がガタガタと窓ガラスを揺らし、遠くで救急車のサイレンの音が聞こえる。ああ誰かが死ぬのを待っているんだな。そう思った。 風がふたたび音をたてた。ああ、なにか伝えたいんだ。近くに墓地があるのを思い出した。 肩に這い上ってくるものがある。小さなクモだった。たたきつぶすと、緑色の体液が手に付着した。それをティッシュでぬぐいながら、ああこれは何かいやなことが起こる前ぶれにちがいないと考えた。

千人針

 日華事変当時、大陸の日本兵に千人針が送られた。夫人が一人一針ずつ縫い、千人に達すると虎の絵が完成するものだったという。 現地の兵隊によれば、千人針は良し悪し、縫い付けがノミの巣にちょうどいいため、大量のノミを運ぶようなものだった。かといって内地の夫人たちの思いがつまった大事なお守りであるから、捨てるわけにもいかない。 なお、日華事変と呼ぶのが正しいので、日中戦争となるのはだいぶ後である。内実は戦争でも、宣戦布告してないゆえに、「戦争」とは呼べなかった。また、戦争と呼ぶと、中国に権益を持つ英米とハッキリ対立していることを認めることになり、それを認めるわけにはいかなかった。宣戦布告して日中戦争になるのは、太平洋戦争(対英米戦争)が開戦してからである。 悪名高き南京侵攻、虐殺は、宣戦布告前におこなわれている。

別れ

 別れはいつかやってくる。 それがいつになるかってだけだ。 自分でケリをつけられるものはすくない。 親切な返信ありがとうございます。 委細了解しました。ワガママを申し上げ、ご迷惑かけてすみません。 私は身体が悪いので、感染症罹患はそのまま生命の危機につながります。 私はこの仕事を命を賭してまでやるべき仕事とは考えておりません。 (ご同意いただけると思います) 感染症罹患の危険性が高い郵便物でしか見本をご用意いただけないということであれば、申し訳ありませんが今後の仕事は辞退させていただきます。 上の希望も無視していただいてけっこうです。 ご検討いただけますと幸いです。

連盟脱退と情報弱者

 連盟の中にあって孤立しているのも外にいて孤立しているのも同じだ。そう言って日本は国際連盟を脱退する。だったら外にいたほうがいさぎよいではないかというのが当時の世論である。 残念なことに、と言うべきか、中で孤立するのと外で孤立するのは同じことではなかったのだ。脱退以降、日本に海外の情報は入ってこなくなった。アメリカがイギリスが、どの程度の軍備を持っているかもふくめて。 いさぎよく、かっこよくありたいというのが当時の日本人の願いだった。 それが情報弱者に至る道なのだとは思いもしなかった。

ワムの友情

 ワムの相方アンドリュー・リッジリーさんはゲイではなくしたがってジョージマイケルとはほんとに友人なのだそうだ。 驚いたことに、アンドリューさんはこれまで一度も友人のゴシップをネタにしたことがないらしい。ほんとに友達だったんだなあとちょっと感心した。 調べてみたら、アンドリューとジョージは小学校のころからの友達であった。下積みがいっしょだったのだ。ほんとうの友達だったんだ。感動した。 ワムの音楽を熱心にきいたことはないが、歌はほとんどジョージマイケルが歌っていて、アンドリューはルックス担当だったはず。ジョージは自分だけではヒットできないとわかっていたという。

七仏通誡偈

七仏通誡偈について調べていると、次のエピソードに出くわした。 鳥窠道林(鳥窠和尚)に「仏教の真髄とは何か」と問うたところ、この偈の前半を示された。白居易は「こんなことは3歳の子供でもわかるではないか」といったが、道林に「3歳の子供でもわかるが、80歳の老人でもできないだろう」とたしなめられた、謝ったという。 作り話らしいが、いいこと言うなあと思った。 じっさい、七仏通誡偈ってほんと気の利いたことを言っておらず、馬鹿正直にそうですと言えず、否定できないことが書いてある。そういうのって心にひびかないわけですよ。 しかし、このエピソードのおかげで理解することができる。誰だか知らないがあなたは凄いよ。

うるさいバッハ

 彼はBGMにバッハをかけた。 「バッハはいいなあ」 と何度もつぶやいた。たぶん、同意してほしかったんだろう。 私は同意しなかった。それがうるさくてうるさくて仕方がなかったからだ。好きになれない……というか、ハッキリ嫌だった。 彼は、ビートのないバッハをうるさいと感じる人がいるなんて信じがたかったのだろう。 じつは、自分でも驚いていた。 そんなのがあるなんて知らなかったから。 ちなみに、その曲がなんだったのかは覚えていない。曲名まで知っておけばよかった。もう一度聞くことだってできたのに。 なぜ嫌いなのか理由がわかったかもしれない。 好きなものもある。バッハだから嫌いというのはあり得ない。

アグニの神

 芥川龍之介の『アグニの神』には、あるアメリカ人紳士が、占いを業とするインド人の婆さんをたずねるくだりがある。 彼が婆さんに聞くのは、「日米の開戦はいつか」ということだ。 『アグニの神』の発表は1921年だし、芥川は日米開戦のずっと前、1927年に命を絶っている。 したがってこれは現実にそれがないかもしれない前提で書かれているのだ。 しかし、それが突飛には思えないほど、庶民には予測できたことだったのだ。 そのことにちょっと驚いた。 すくなくとも今の日本人には、日米開戦の未来を予測するのは難しい。もっと別の国にした方が、幾分リアリティがあるだろう。 日米は『アグニの神』の年後、1941年の年末に開戦する。

コート&スパーク

 音楽が記憶を呼び起こすことは経験から知っていたが、ふるい音楽が固定化したためか、あるいは記憶そのものが弱まっているためか、そんなことは絶えてなくなっていた。 いつしか、音にそんな力があることさえ忘れていた。 それが強烈によみがえってきたのは、ジョニ・ミッチェルの「コート&スパーク」をきいたときだった。ドライヴするときよくきいていた。その後、クルマを運転できなくなって、きかなくなっていたのだ。 運転していたとき見ていたあの光景。あの気分!

中国の芥川龍之介

 半藤一利によれば、数週間中国視察旅行に訪れた芥川龍之介のエッセイにも、反日運動の影が見えるという。文学者のエッセイであるから、反日のレポートを書こうとはつゆほども思っていない。むしろ中国の歴史の名所をめぐって、たとえば楊貴妃のありさまをその足跡とともに書き表そうというこころみである。 ところが、このエッセイにすら、壁に対華21箇条を忘れるなとか、日本人が大嫌いで終始仏頂面を崩さなかった女の先生とかが、出てくるのだ。

夜ふけと梅の花

 梅桃桜では梅が好きだと言ってきた。まだ寒いうちに咲く梅、それが清潔で好きだった。 今でも梅が好きだと答えるだろうが、今日はひどく寒かった。 井伏鱒二の『夜ふけと梅の花』という小説が好きで、登場人物が「酔えば酔うほど、俺はしっかりするんだ!」と虚勢を張るのも好きだった。 あれ、以前も同じことを考えたことあるぞ。 あああれは水戸に行ったときだ。梅はおろか桜も終わっていた。名物のあんこう食って帰った。電車の中で井伏を読んで帰った。たぶん、水戸の本屋で買ったのだろう。

台本と電話帳

 俳優のなかには、台本をひとめ見ただけで暗記し、決してセリフをまちがえない方がいらっしゃいます。そういう人たちは、台本を映像として記憶しているのだそうです。演じるとは頭の中にある映像を読むことにほかならないのですから、まちがえようがありません。 おそらく、ノイマンの能力は、それに近いものだったのでしょう。ただし、台本と電話帳では情報量がまったくちがいます。台本を暗記できる天才肌の役者さんも、電話帳までイケるかはわからない。

真実

 その人は、9歳のときに両親の子ではないと伝えられたそうだ。四国の良家の子だと伝えられたという。とても悲しかった。27歳のとき、それも真実ではなかったと伝えられた。彼女は乳児院の子だったのだ。 真実を伝えるということは呪いを吹き込まれることだ。常に正しいとはかぎらない。人は不用意に真実を口にする。その重さを考えることなしに告げる。自分で抱えることのない秘密は、その重ささえわからない。 https://www.asahi.com/articles/ASP2D4VH5P25TIPE00C.html?ref=mor_mail_topix1

イラク戦争とアフガニスタン侵攻

 当時はブッシュ政権だった。イラク戦争があって、戦争理由は「イラクが大量破壊兵器を持っているから」だった。このときはわからなかったが、イラクにそんなものはなかった。完全なイチャモンだった。 アフガニスタン侵攻は、まだ「911の首謀者ビン・ラディンをかくまっている。彼を探し出す」という大義名分があった。この大義名分が成就するのは10年後、しかもパキスタンでのことなのであるが、それは於こう。こちらはまだ理由は正当化できた。 だが、イラクは当時にしておかしいと思っていた。自衛のための侵略。それを許したらなんでも通っちゃうじゃないか。当時の小泉内閣は、小泉ポチ内閣と言ってた人がいた。まったくそのとおりだと思っていた。日本はアメリカの大義なき戦争に大賛成していただからだ。しっぽふって喜ぶポチと同じだった。ポチは主人があることがうれしいので、それがどういうことを意味するのかを知らない。あるいは、見ないふりをしている。

コロナと地震

 今のこのありさまというのは過去百年なかったことなので、記録しておきたい。しかし、どうすればよいのかはわからない。数量的なことは調べればわかるだろうし何があったかもわかるだろう。欠けているもの必要なものは何か。私がここにいるのはそのためじゃないかなあは思うのだが、さて求められているのが何かわからず。役割が見えていない『ある小倉日記』の主人公。自分の存在理由さえ知ることができず。 (以下2/14記) すこし大きめの地震があって、避難しないとならぬような、この建物が倒壊するような事態になったら、俺はたぶん逃げられない。

オリンピックとケチ

 招致してすぐデザインの盗作が話題となり、デザインの改訂がおこなわれた。そして、このたびの森会長の発言である。ケチがつきすぎる。オリンピックってのは、どこもこんなにケチがつくもんなのか。 ちなみに森さんというのは、昔、総理大臣も問題発言で辞任している人である。政治家の評価は高いようだから、力のある人なのだろう。国民人気は高くなく、今回も嫌われた。本人はまたかよと思ってるだろうが、ちょっと擁護できないようなこと言うからだよ。思ったこと言っちゃう人なんだろうな。じっさいに会えば、わかりやすいので好かれる人なのかもしれない。

鳥取のふとんの話

 小泉八雲の「鳥取のふとんの話」は、鳥取辺の漁師から聞いたことになっている。ああ今は使えない手だなあ、と思った。たぶん同じ時期に素材を得ただろう『遠野物語』も、人から話を聞いたとして、神や妖怪や幽霊の登場する不思議な話を羅列している。今、同じ手を使うならばカンボジアとかインドネシアとか中国の田舎とかに舞台を設定しなければ成り立たないだろう。 鳥取の漁師だろうが遠野の猟師だろうが同じ教育を受け同じテレビを見て育つ。地域的な差異はむろんあるが、以前ほど大きなものではなくなっている。明治政府のおかげですな。全国一律にする政策(これは富国強兵策と通じている)は、どこも同じ光量で明るく照らすと同時に、霊魂の潜む暗闇を奪ったのだ。 それにしても、「ふとん」ありがちな話だなあと思った。ふとんに子供の声がする、それがどうしてかわからない、だから対策がとりようがないだったらどうかな。

デジタル→アナログ→デジタル

 「コンピュータの父」と呼ばれる人の伝記を書評するよういわれた。こういうご時世だから本ではなくPDFにしてくださいとお願いしてるんだが、あきらかに印刷データをスキャンしてつくったPDFで面食らった。おいおい、デジタル→アナログ→デジタルじゃねえかよ。これをやって平気な人が「コンピュータの父」の本つくってんのかよ。苦笑せざるを得なかった。はんこが大好きなデジタル化推進議員を思い出した。こういう害悪はいずれ淘汰されるだろうが、かといってそれまではガマンしないとしょうがないんだな。 引用のミスも生まれるから、これは言うべきだろうな黙ってるべきじゃないなと感じているが、どう伝えるかはすこし考えよう。今勢いにまかせて言うとロクなことにならない。 ……という程度の分別はついてるが、上記のようなものを超然と受け取ることはちょっとできないのである。

ノイマン

 俳優のなかには、台本をひとめ見ただけで暗記し、決してセリフをまちがえない方がいらっしゃいます。そういう人たちは、台本を映像として記憶しているのだそうです。演じるとはそれを読むことにほかならないのですから、まちがえるはずがありません。 ひょっとするとノイマンの能力は、それに似たものだったのかもしれません。とはいえ、台本と電話帳では情報量がまったくちがいますから、台本を暗記できる天才肌の役者さんも、ノイマンと同じことができるとはかぎりません。

ドン・ニックス

 ドン・ニックスはシェルターで一枚だけアルバムを残していて、マッスルショールズ録音、バリーベケットとか腕っこきの連中もそろって参加、けっこう評判がいいらしい。 きいてみたいねえ。 シェルターはこれだけらしい。なぜシェルターをやめたかというと、ギャラがダンボールいっぱいのシェルターTシャツだったからだそうで。さすがにこれは…… そんなエピソードをきいて名盤探検隊のドン・ニックスをきいている。I saw the lightやってんだなあ。

携帯電話

 人の携帯電話の契約につきあったことがあって、うんざりするぐらい長い時間がかかり、家電量販店に電話会社から出張してきているスタッフだったのだけど、その処理能力の低さに腹が立った。 このたび、携帯電話を新しくした。契約の話を聞いていたら、三時間かかった。べつにゆっくりしたわけではなく、普通にやったらそれぐらいかかったのである。考えてみれば向こう二年毎月支払う契約の相談をするわけで、時間がかかってあたりまえなのだ。 あの人の能力に問題があったわけではない――と、今わかった。あれはずいぶん前の話で、今真相がわかることもあるわけだ。 (2/3)

或る「小倉日記」伝

 松本清張の『或る「小倉日記」伝』は、足が不自由で口は開いたまま、言語に障害があるばなりでなく常に顔をぬらしている青年が、鴎外の失われた小倉の足跡を尋ね歩く作品である。それが彼の役割だった。人に馬鹿にされ軽んじられる青年が、自分がこの世に存在する理由とは小倉日記を完成させることと考える。 この青年の気持ちは、たぶん自分には誰よりもわかるだろう。自分がここに存在する意味とはなにか。彼がそれを小倉日記に求めたことは想像にかたくない。 彼が亡くなった後、小倉日記は発見される。それが幸福なのか不幸なのかはわからない。 昔、ある雑誌の編集長だった人が、「松本清張は顔でずいぶん苦労したにちがいない。あれで女にもてることは考えられない」と言っていたのを思いだした。

乱歩の広告

 『恐怖奇形人間』はメインのエピソードを『パノラマ島奇談』『孤島の鬼』に負い、その他『人間椅子』など乱歩作品から小さな話を集めた映画だ。エログロ映画である。 探偵明智小五郎(彼は『孤島の鬼』には出てこない)は、毎日掲載される空き室の新聞広告が一日だけなくなったのに目をつけ、そこに犯罪のにおいをかぎとって調査する。そこは破格の人件費で募集された女性事務員の面接会場となった。同じ日の夜から、警察に誘拐の届けが出始める。 これは乱歩の小説にあるエピソードかもしれないが、新聞広告とりターゲット広告なんだからおもしろいなと思った。ひとりだけ目にする広告をつくるのはたやすい。

今昔2

 ここで述べたいのは芥川の『好色』という短編、およびその元となった『今昔物語集』第三十巻第一話に所載されたストーリーだ。 『今昔物語集』は各巻にテーマが設定され、仏教のありがたいお話や、当時の風俗に材をとった話、泥棒とか殺人者とか犯罪ばっかりコレクションなど多種多様である。その中にはあのかぐや姫の物語や能などほかの芸能の原作となったストーリーもふくまれている。 三十巻は恋愛話ばっかりを集めているが、仏教説話集という性格上、恋愛には否定的で、ここに集めているのも悲恋ばかりだ。恋愛の末の幸福というものは、まるで存在しないかのように(あるいは、それが作者の本心かもしれない)、捨象されている。 この恋愛話コレクションの劈頭を飾るのが、ここに紹介する物語だ。芥川の『好色』という短編小説の素材となっている。 ただし、この『好色』という作品、ハッキリ言ってあんまり評判がよくない。理由はいくつかあるだろうが、ひとつにはこれが原話そのまんまで、ほとんどアレンジが見られないことだ。

龍の巣

 すこし前、NHKで『巨大地下空間 龍の巣に挑む』を見た。 https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20200216 『龍の巣』と呼ばれる深く広い洞窟の撮影に挑むというものだったが、ついにスタッフ(洞窟探索の第一人者をふくむ)は、『龍の巣』がどこまで続いているのか、明かすことができなかった。地下空間はどこまでも続いていて、ついに果てには到達できなかったのだ。 その深い闇には圧倒されたが、もっと驚いたことがある。 『龍の巣』付近(中国貴州省)に住む少数民族「ミャオ族」は文字を持たない民族だったのだ。彼らの歴史はすべて口承によって語りつがれてきた。そうあることにかたくなだったのかもしれない。 「文字を持たない人たちがいる」そのことに、おおいに驚いたのである。

飢餓と砂糖

 ハラリは世界的なベストセラーになった『サピエンス全史』に続く著書『ホモ・デウス』の中で、現在は飢餓で死ぬ人より糖尿で亡くなる人のほうが多いと述べているそうだ。砂糖は殺人兵器だと。 人類は飢餓に勝利した。ほかに人類の敵は、戦争と感染症だそうだ。 コロナウィルス感染症はペストとは違う。こと死者数だけを比較するなら未だ人類の勝利は続いていると言ってもいいかもしれない。 コロナは攻撃対象が違うんだ。狙われているのはわたしたちの命じゃないんだよ。 ……というテキストを書いた。

記事

一応、毎日あげようと思っている。200字は毎日書く。理由あって不可能なときは、翌日2本あげる。誰も見なくてかまわない。自分のためにやる。そう思ってやっているのだが。 昨日、アップするのを忘れていた。しかも、開いて今日のぶんをあげようと思うまで、それに気づかなかったのだ。 そんな調子だから、何を書いたかも覚えてない。でも、書く。何のためにもならなくても、やる。

半藤一利

 半藤一利はハチ公に会ったことがあるそうだ。 ハチ公は渋谷駅に通っていたころから有名だったので、見にいったという。カステラあげたらばくっと食べたそうだ。 カステラ買ってわざわざ行く。それが半藤一利だと磯田道史が言っていた。とてもいい話だと思った。