或る「小倉日記」伝

 松本清張の『或る「小倉日記」伝』は、足が不自由で口は開いたまま、言語に障害があるばなりでなく常に顔をぬらしている青年が、鴎外の失われた小倉の足跡を尋ね歩く作品である。それが彼の役割だった。人に馬鹿にされ軽んじられる青年が、自分がこの世に存在する理由とは小倉日記を完成させることと考える。


この青年の気持ちは、たぶん自分には誰よりもわかるだろう。自分がここに存在する意味とはなにか。彼がそれを小倉日記に求めたことは想像にかたくない。


彼が亡くなった後、小倉日記は発見される。それが幸福なのか不幸なのかはわからない。


昔、ある雑誌の編集長だった人が、「松本清張は顔でずいぶん苦労したにちがいない。あれで女にもてることは考えられない」と言っていたのを思いだした。



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