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土葬

 江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』は、大金持ちとうり二つの貧乏作家が、大金持ちがてんかんで亡くなったのを機に入れ替わり、その資産をつかって以前より夢だった幻想の楽園を建設するという話だ。死者との入れ替わりができたのは、その地方には「高位の者は土葬にする」というルールがあったからだ。 わたしの祖父は土葬だった。ただし、高位だったからではない。その部落では土葬が当たり前だったからだ。火葬場が遠方にしかなかったので、育った習俗だった。 墓穴は部落の男が持ち回りで掘った。当然、父も掘っていた。 父がこう言っていた。 「墓穴掘るとね、昔埋めた遺体が出てくるんだよ。それが臭くっていやだった」 遺体は五年はそのままだったという。土中は空気にふれないので、腐敗が進まないのだ。さしもの江戸川乱歩も、その知識はなかったようだ。

優先席2

 ある日のこと、若い女性がふたり、優先席に腰掛けていた。わたしはその横に座ることになった。まず、この時点で女性にいい感情を抱いていない。 優先席だということを知って座っている、その厚顔無恥と無神経に立腹しているのである。 いるだけで腹が立つのに、会話の内容が聞こえてきたのある。 「わたしのカレシったらさ、」 「結婚するなら絶対こんな人がいい」 恋愛論であった。 耐えがたくて、わたしはカバンからイヤホンを取り出し、大音量で音楽をきいた。 ただ彼女たちの会話がうるさくて、不快だったばかりではない。 彼女たちも結婚するのだ。夫はどんな人で、子供はどうなるのだろう。 明るい展望は抱けなかった。 その重さに、暗澹たる気持ちにならざるを得なかったのである。

優先席1

 腹が立ってたまらないのが、電車などの優先席に座っている若者である。 わたしは見るからに優先席な見た目をしているので、優先席の前に立っていると、白髪のおばあさんに席をゆずられることすらある(そういう場合は遠慮する)。 ところが、わたしが目の前に立っているのに、一生懸命スマホを見たり寝たふりをしたりして、気づいてないようによそおって座りつづけるやつがいる。若者だ。 これは「最近の若者は」ではない。そいつがおかしいのである。 とにかく、その厚顔無恥がシャクにさわる。無神経さに立腹する。心のみにくさがわかる。しかも。それをあらわにしていながら開き直ってそれを気にしてすらいないのだ。なんて汚れた感性だろう! 座ってる方がラクなのは事実だ。しかし、立っていることもあるから、自分がラクしたくて言っているのじゃないことはおわかりいただけるだろう。 (続く)

生活保護

 これはムチャクチャ腹たった。政治家にこんなに腹立ったのはじめてだ。 今国会議員やってる連中が明日やめて、無収入を一年つづけても、生活保護はもらえません。生活保護とはそういうシステムです。 この意見、擁護できる人いんの? 同意見の人も保護申請してみたら? https://jp.reuters.com/article/suga-covid-idJPKBN29W07Q

芥川1

 『今昔物語集』は天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)を舞台とする千以上もの膨大な数のストーリーから成り立っている。編者に「全世界の話をすべて集めてやろう」という遠大な野望があったことがうかがわれるが、残念ながらここでは、その野望については述べない。この時代だからこそ抱けた希有な野望なのであるが!  芥川龍之介はここに所載されたストーリーをもとに処女作『鼻』を書いた。これが夏目漱石に認められ、彼の生涯にわたる夏目への師事と文壇デビューのきっかけとなる。その後彼は『羅生門』『芋粥』『藪の中』など、『鼻』同様に『今昔物語集』をはじめとする平安時代の説話文学に材をとった作品を次々と発表した。おそらくは師も編者もそうあることを期待していただろうし、作家本人も(すくなくとも当時は)それを求めていたのだろう。 ここで述べたいのは芥川の『好色』という短編、およびその元となった『今昔物語集』第三十巻第一話に所載されたストーリーだ。

選ばれた

 自分は選ばれた人間であるという感覚、いわば中二病的な感覚はじつは正しいのではないか。なぜって、世の人はあまりに当然のことを理解していないように思ったから。わかってないふりをしているんだと思っていたが、それを続け貫くならば本当にわかってないことと同じなのだ。 人とは将来に希望を抱かずには生きられない動物らしい。

心理兵器

 ドナルド・トランプ大統領に加えてニール・ヤングはインターネット・ニュースやソーシャル・メディアが「私たちの信念体系を機能不全に陥らせる」と非難している。 「ソーシャル・メディアのことになると、心理兵器の問題となり、どちらか一方を支持する憎しみを集めるために使われているんだ」 https://nme-jp.com/news/97365/ 検索してみても「心理兵器」語は出ていないのでヤング当人か翻訳者の造語だと思われる。しかし、これほどイマジネイティヴでわかりやすい言葉はない。そう、おれたちは心理兵器に囲まれている。しかも、誰もコントロールできないのだ。

起床

 目覚めたら4時半だった。外は薄暗い。ああ夕刻まで寝てしまったと思ったが、一日を無駄にしたとは思わなかった。無駄にしたと感じるのが普通かもしれないが、 には無縁だった。 起きてしばらくするまで、それが夕刻でなく朝であることに気づかなかった。一日は終わっていたんじゃない。はじまっていなかったのだ。 (2020年12月記)

誰も本当のことを言わないのは

 自分は選ばれた人間であるという感覚、いわば中二病的な感覚はじつは正しいのではないか。なぜって、世の人はあまりに当然のことを理解していないように思ったから。わかってないふりをしているんだと思っていたが、それを続け貫くならば本当にわかってないことと同じなのだ。誰も本当のことを言わないのはどうしてだ。 人とは将来に希望を抱かずには生きられない動物らしい。

密なる会社

 自分が以前つとめていたその会社は、パートのおばちゃんを山ほど集めて数えたり集計させたりして、それを入力してデータにすることを主業務にしていた。 世の中にはそんな泥臭い仕事がたくさんある。たとえば国勢調査とかも、同じ方法が集計しているだろう。選挙の開票も似たようなもんで、この先どんなに合理化効率化機械化が進んでも、そういう仕事がなくなることはない。 とはいえ、このご時世パートのおばちゃんを集めて一カ所に押し込むのは問題なんじゃないか。いったいどうしてんのかなと言うと、同じ場所につとめていたある人がこう言った。 同じだと思いますよ。 隣との間隔はとってるかもしれませんが、基本的に変わんないはずです。 パートの人数も減ってないと思いますよ。 中小企業ってそういうもんかもしれない。こっちが甘ちゃんなのだ。

かわいい女

 女性を、かわいいと思った。抱きしめたいと思った。 もう一昨年になるか、自分には定期的に会って、セックスする女性がいたのである。陰部は隆起してその気になっていたようだけれど、その女性には、ついにそういう感情を抱くことはなかった。ひょっとすると年齢のためそういう感情は失われているのかなと思ったが、そういうことでもないらしい。  セックスしていたその人が、あることをする瞬間がたまらなく嫌で、異性にそういう気持ちを抱くのもはじめてだったんだけど、やっぱり、好きじゃなかったんだろうな。 その人には、会わなくなった。 もっとも、当時はラブホテルによく行っていたが、今は行きたくない。好きでもない相手とチュウしたくない。 向こうもそれは同じかもね。

芋虫

 乱歩の芋虫なんかずいぶん乱暴で、あれでいちばん問題になるのは排泄をどうしていたかということで、もし奥さんが介護していたならそばを離れることなど絶対にあり得ない。お気楽」な空想の産物だということがよくわかる。 それでも魅力的なのは、やっぱり芋虫と化した人間と高貴な奥さんというとりあわせが、今なお淫靡であるからだろう。これってじつは凄いことで、1929年の作品ですよ。 孤島の鬼、おもしろい。こんな思いをするのは久しぶりだ。

見る人の能力

 江戸川乱歩の『灰神楽』で、主人公が語る。 「証拠というものは、どんな場合にでも残らない筈はない相だ。ただそれが人間の目で発見出来るか出来ないかが問題なのだ。」 そこにあるのにもかかわらず、見ることができない。殺人の証拠ばかりではない。見る人の能力によるのだ。

野生とセックス

 ヒトという生物の活動が弱まれば、他の生物の勢いが強くなる。最近里で熊や猪を見ることが多くなったというけれども、人がすくなくなったのも大きな要因のひとつだろう。 タイの海ではジュゴンの群れが見られるようになったとか。こんな話は世界のあちこちにいくらもあるはずだ。 https://www.afpbb.com/articles/-/3279964 犯罪は二割ちかく減少しているという。コロナ禍のよい面ですな。 この記事はドメスティックバイオレンスが増加してるんじゃないかと指摘してるが、増えてるにしても二割増にはなってないだろう。 https://news.yahoo.co.jp/byline/haradatakayuki/20200830-00195630/ 知りたいのは人がセックスしてるかどうかだ。 こればっかりは出生率を調べても仕方ないし、たぶん性風俗は営業困難になってると思うが。 ラブホテルに行くカップルも減ったはず。自分だったらやだもん。

 自由の殿堂に暴徒が侵入した。それを扇動したのは大統領だった。五人が死んだ。 ブラジルやペルーでは死因の一位がコロナになっている。 https://www.chunichi.co.jp/article/174215 ロンドンのロックダウンは継続中だ。 日本政府は外国人を受けいれない方針をあきらかにしている。外国人富裕層相手のホテルは軒並み経営難だろう。 すこし前なら考えられないようなことが起こっている。 ただいい点もあるんだ。 地球にとってどれだけいいか。

断章

 「ふしぎなもんでね、みんなほんとうのことを言わないんだ。将来に希望が持てなくなってしまうのをおそれているのかもしれない」 「そうでないと生きられなくなってしまうから」 「だからみんななんとかしようという。ほんとはわかってるくせに本質にふれたがらないんだとおれは思った」 「人は滅びるよ。友や家族と握手できず抱擁できない。セックスをするには相手を愛さなければできない。どっちも命がけで、本当に大切な人としかできないんだ」 「嘘や虚飾を禁じたんだ。いいとも言える」 「しかも、これだけ科学が発達しなければこんな状態にはならないんだ」

咳をしても一人

 咳をしても一人。 名句を思い出したのは、朝起きると同時に咳をしたからだ。これから起こりえるかもしれない混乱と、ここ二週間ほどの自分の行動をふりかえった。体温はかってみたりもした。 もう咳は孤独を感じるよすがにはなり得ないと知った。咳をしてまず考えねばならないのは他者のことであり社会のことだったからだ。咳をしても一人。古き良き時代の名句になってしまった。そんなこと誰も考えなかっただろうが。

物語の住人

 家庭人であることはやめたし社会人であることもよしてだいぶたつのに、まだ社会生活をしたい欲望は失われていないらしく、そのようにふるまってしまう。 自分は大昔の物語の世界が心地よいのだということはずいぶん前から感じているのに、その世界の住人になってしまうことをおそれている。鬼や天狗や魑魅魍魎や姫や王子や仏や地蔵のいる世界に住んでいるんだとは思えないでいる。おまえしかそれはできないんだと腹をくくれずにいるのだ。

藤十郎の恋

 『藤十郎の恋』とは、芸のために人妻と不倫する歌舞伎役者を描いた小説(戯曲もある)だが、主人公の役者が出てくるまで、春の描写がえんえんと続く。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/47857_32607.html なんてのどかなんだろう。今これできる人はいないか危機感ないアホだなと思いつつ。 これがめちゃめちゃうまいんだ。文芸とはまさにこれだし、これできる人もまたすくないだろう。 都では、春の匂いが凡ての物を包んでいた。ついこの間までは、頂上の処だけは、斑らに消え残っていた叡山んの雪が、春の柔い光の下に解けてしまって、跡には薄紫を帯びた黄色の山肌が、くっきりと大空に浮んでいる。その空の色までが、冬の間に腐ったような灰色を、洗い流して日一日緑に冴えて行った。  鴨の河原には、丸葉柳が芽ぐんでいた。その礫の間には、自然咲の菫や、蓮華が各自の小さい春を領していた。河水は、日増ひましに水量を加えて、軽い藍色の水が、処々の川瀬にせかれて、淙々の響を揚げた。  黒木を売る大原女の暢やかな声までが春らしい心を唆った。江戸へ下る西国大名の行列が、毎日のように都の街々を過ぎた。彼等は三条の旅宿に二三日の逗留をして、都の春を十分に楽しむと、また大鳥毛の槍を物々しげに振立てて、三条大橋の橋板を、踏み轟ろかしながら、遙かな東路へと下るのであった。  東国から、九州四国から、また越路の端からも、本山参りの善男善女の群が、ぞろぞろと都をさして続いた。そして彼等も春の都の渦巻の中に、幾日かを過すのであった。  その裡に、花が咲いたと云う消息が、都の人々の心を騒がし始めた。祇園清水東山一帯の花が先ず開く、嵯峨や北山の花がこれに続く。こうして都の春は、愈々爛熟の色を為すのであった。  が、その年の都の人達の心を、一番烈しく狂わせていたのは、四条中島都万太夫座の坂田藤十郎と山下半左衛門座の中村七三郎との、去年から持越しの競争であった。 ここでようやく藤十郎登場なのであるが、文がじつにいいなあ。

テキヤも大変だ

 近くに全国に名をとどろかせるようなでっかい神社があって、この神社におまいりするのが日課なのだけど、例年この時期は避けていた。初詣でごった返すからだ。いわゆる松の内が明けるまでは、近づかないし、近寄らない。 今年は初詣の人もすくないだろうと思い、まだ松の内は明けていないが参道を歩いた。人はちょっと多い程度でそこにテキヤが軒を並べている。閑散としているところにテキヤが並ぶというのはある種異様な光景だ。 テキヤは大変だろうなと思った。安売りとは縁のない世界だが、お客がすくないからといって値段を下げるわけにはいかない。ファーストフードが主だから、注文を受けてすぐに出せるように材料をしまってしまうわけにもいかない。ニオイで人を寄せるというところは変わらないから、うまそうなニオイを消してしまうわけにはいかない。 しかし、人はすくない。例年の数十分の一だろう。儲けもまた数十分の一、いや数百分の一かもしれない。彼らは飲食を提供しているが政府の保障は当然受けられない。 (1月7日記)

ドラマ

 映画を見るのが苦痛だった。イントロから物語に入っていくまでは誰も耐えるだろうが、そのガマンがきかなかった。小説も同様で、物語全般が悠長に思えて仕方なかった。こんなもんに人は熱中してるのか馬鹿じゃなかろかと思わずにいられなかった。 急いでいるわけでもない。時間を無駄に思っているわけでもない。もっともっとくだらない時間をたくさんすごしているのだ。そのことを思えば、映画のはじめの何分かなんてむしろ有意義だろう。 もし嫌がってることに自分の怠惰以外の理由をつけるとすれば、作り手側の作為を感じるのが嫌で嫌でたまらないからだった。

SNS

イメージ
 あんまりおもしろいからスクショとっちゃった。 リツイートされまくってる事実に本人がいちばん当惑している。 ここって、案外誰も気づかない(気づいても言わない)ところなのだ。しかも、非リアしか勝たんって、伝統的日本語がひとつもないじゃない。そこもいい。 ただ、当人もひょっとすると感じてるかもしれないが……たぶんもっと増える。 GOTOはやはり失策だろう。せめて飲食だけにしておけばよかった。 カンチガイしてほしくないと思いつつ、その後の挙動を見ていきたい。

Southside Blues Jam

 じつは今日は誕生日なのだが。 51年前の今日おこなわれたセッションがレコードになっている。 極寒のシカゴ、ジュニア・ウェルズをリーダーとし、バディ・ガイ、そしてこれが最後の演奏となる伝説のピアニスト、オーティス・スパンらによるジャムセッションだ。おそらくは一発録りにだっただろうセッションの空気も大好きだ。 存命なのはバディ・ガイだけ、バディもいまや重鎮中の重鎮だが、この録音がおこなわれたころは、中堅~若手だった。 サウスサイド・ブルース・ジャム。 毎年この日にはかならずきいている。

床屋

 床屋に行こうと思っているが、抵抗がある。 天然パーマだから伸ばすと髪が下に落ちずに横に広がってしまうから(頭がトンカチみたいなサメになると言ったら大笑いされた)、基本的に間をあけず行っているのだが、行く気にならなれなかった。 もちろんはやってたからだが、おさまるどころかひどくなってる。低温低湿ではやるはずなので春が来るまで増えることは予想してたが、これほどとは思わなかった。 明日、緊急事態宣言が発令される。

夢のかたち

 テレビドラマは現実をうつす鏡であれなどと言うつもりはないが、明らかに現実ではないものを描きつづけるのはどうかなと思っていた。恋愛ドラマで男女がハグしあうためには覚悟が必要だしキスにはもっと必要だ。軽はずみにできるこっちゃない。刑事と容疑者がせまい密室で対面……はたぶん、今は警察でやってないと思う。もっと換気のいい場所でやってるはずだ。町ゆく人が誰もマスクしてないのもおかしいよ。日本にはたぶん、そんな街どこにもない。 『逃げ恥』続編を見たが、コロナとリモート、マスク買い占め、感染におびえる人々をみごとに描いていてよかった。コントとかで題材にしてるのは見たが、ドラマでははじめてだ。 とはいえ、いずれハグしあえる未来がくる、というオチを信じられない人は多いだろう。今の世にあった夢のかたちとはどういうものだろう。

王朝もの(好色1)

 芥川龍之介の「王朝もの」と呼ばれる諸作は、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』など平安時代の説話文学に材をとり構成されている。いずれも物語のアンソロジーであり、たくさんの物語が収録されている。したがってどの話を選ぶかからすでに芥川の批評眼がいかされているわけだが、彼はあきらかに、王朝文学を題材にすることによって当時の習俗を描こうとしているのではない。ひょっとすると当時の人はまったく感じていたなかったかもしれない近代人の、もっといえば人間の懊悩を表現したいと考えていた。逆に言えばその観点から適当だと思われた話が選ばれたのである。

穢れ

 『伊豆の踊子』に一高の学生と踊子など芸人たちが同じ鍋からモノを食べるのを忌むシーンがある。 一高の学生といえばトップエリート、芸人といえば三界河原者、アウトカーステであるから、差別意識ゆえに同じ鍋からモノを食っちゃいけないんだろうと思っていたが。 今、誰かと同じ鍋からモノを食うのは抵抗がある。差別意識、「穢れ」とは、たしかに衛生上の意味もあったのである。上流階級よりあきらかに雑菌が多いところに住む被差別階級が同じ鍋からモノを食うのはよろしくない。被差別階級が当然のように持っている免疫が上流階級にはないことも当然のごとくあっただろう。 「穢れ」が本当にそこにある可能性も捨てきれないのだ。

芥川賞と菊池寛

 芥川賞・直木賞を創設したのは菊池寛である。ふたつともニュースにならざる年はない権威ある賞であるが、一回目は新聞さえとりあげなかったらしい。 芥川賞創設前の菊池寛の随筆に、「純文学は衰退している」というものがあるそうだ。菊池寛はその理由も冷静に分析していて、「市場価値がないから」だといっている。 純文学って芥川賞ができる前から売れなかったのだ。芥川賞はそれを高めたいという理想を掲げてつくられたのである。

ドリーム東西

 お正月のなにがいいって、お笑い番組が多いことだ。キャストやスタッフに正月休みやんなきゃいけないから芸人出しとけってことなんだろうけど、お笑い好きは録画しまくりである。 1日にやるドリーム東西は毎年見てるが、東のトリは東京03だった。ほんとうに出世したなあ。調べたら昨年は出てなかった。お声がかからなかったってことだろうな。それを考えるとますます大出世だ。

百田のピアノ

 録画したももいろ歌合戦を見ていたら、百田夏菜子がピアノ弾き語りをやっていた。このために練習したのだ。 コードだけでなく、ちゃんとメロディーも弾いていた、大したものだと感心した。ちょっとの練習量ではああはならない。 そればっかりやってた時間があるのだろう。努力しよう上にあがろうという気概がまだうしなわれていないのは凄いことだ。