二十歳のエチュード
二十歳のエチュードは、たぶん二十歳前に読んでいるが、自分はとうてい二十歳のときにこれを書くことはできない。すげえもんだと本当に感心した。
今、機縁あってふたたび二十歳のエチュードを読んでいる。さっぱりわからない。これは詩を愛する友に送ったものだから、その友だけが理解すればいいと思って書いた門かもしれないが、果たして友はわかっていたのか。
あまりにディスコミュニケーション、まるで外国語を読むようだ。
こんなに不可解なのは、自分が二十歳の感性をまったく持っていないからか。
「幸福」の私生児、僕はいっさいの契約をご破算にした。僕の仇敵は「虚無」という怪物であり、僕は至る所で彼の兄弟に出会した――「安心」と「満足」と。
最後に僕は、勝利の女神と対決した。
こういう言葉は好きであるし、理解も得意なのだと思ってきた。
だが、これは誰にも届かない言葉じゃないかとも思っている。
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