テロと暗殺

 戦前にはテロ/暗殺事件が大流行した。五・一五事件は首相の暗殺事件であり、二・二六事件は暗殺をふくむクーデター事件である。背景には戦争遂行をのぞむ大衆の要望と(すくなくとも戦前において、もっとも戦争を望んでいたのは一般民衆である)、世界恐慌を要因とする大不況があった。戦争は好景気を呼ぶ方策として待望されたのであり、暗殺事件の被害者となった要人の多くはこれを押しとどめようとしていた。


君側の奸ということがさかんに言われた。陛下の意志をねじ曲げるやつが近くにいるからいけないんだ、こいつらを除けば風通しがよくなるぜ。テロ/暗殺事件の首謀者や実行犯は共通してこの思想を持っていた。


管首相や小池都知事に寄せられる批判を見るに、時代が時代なら彼らは暗殺事件に巻き込まれていると思う。それが起こらないのは、なにより彼らを除いてその後どうしたらいいのかと考えてしまうからだと思う。なにをやってもなにもかわらない。絶望感が蔓延しているのだ。暗殺事件はうまくいこうといかずと重罪になるのは間違いない。死刑になることもじゅうぶんに考えられる。そこまでのリスクを背負ってもなすべき行動が、実現するべき思想が戦前にはあった。


今は、それがない。ひょっとするとそれは不幸ではないか、と、死んでも悲しむ人のすくない者は思うのである。


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