劫と恒河沙

 仏説によくあるのが、劫という単位で表される時間である。距離もまた、とんでもない遠くが示されることがある。恒河沙というのも見る。ガンジス川の砂の数、すなわち「数え切れないほどたくさんの」という意味だ。


仏説は素晴らしいこと深いこと真実を語っているものと思っているから、基本的にはソン集したいと思っているが、これはくだらないと思っている。落語の蒟蒻問答のマクラに、江戸っ子に問答が流行ったことがあって、「おれは龍になる」「ならばおれは土手になる」と相手を上回るものを言っていくものがある。最後は片方がおさんどんになって、もう片方がそれを犯す田舎者の下男(権助)になるというオチだが、それと変わらない。もっと古い時代もっと遠いところもっとたくさんの数と追い求めた結果だ。


クロマニョンが描いたとされるラスコー壁画だって二万年前。それ以上古いものは信じがたいし、無知ゆえの嘘だと思っている。




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