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 そのカンボジアは、かわいらしくはにかみながら、こう言いました。
「お父さんもお母さんも、字が読めないですよ」
「えっ」
 驚かずにいられませんでした。
「学校に行ったことがないから、字読めないんです」

 カンボジアは七十年代に、ポル・ポトによる虐殺のあった国です。一説によれば、彼が排除した人の数は3万人、これはカンボジアの総人口の4分の1に当たるといいます。
 もっとも、社会主義国の首長による虐殺はめずらしいことではなく、スターリンも毛沢東も大規模な虐殺をおこなっています。その数はポル・ポトよりずっと多いのです。
 とはいえ、ポル・ポトはやはり異常な指導者でした。
 虐殺の中心が、知識人だったのです。

 体制に異を唱えるのは知識人である――そう考えるのはポル・ポトだけではありません。日本の政治家たちも同じことを思っているでしょう。反体制を唱えるためには、理論的支柱が必要です。したがって、反体制の指導者が知識人であることはめずらしいことではありません。あさま山荘に立てこもったグループも、オウム真理教の幹部たちも高学歴でした。
「アタマがいいやつはロクなこと考えねえ」
 これは国家指導者の共通見解であると言ってもいいでしょう。

 しかし、だからといって排除することはできません。知識人なき国は、脳を持たない動物と同じです。まっとうに歩くことさえできなくなります。

 ところが、ポル・ポトはそういう人間を真っ先に排除しました。
「彼は危険思想を抱いているから」ではありません。「アタマがいいやつは、危険思想を抱く可能性があるから」殺されたのです。
 これは、そのへんにいるちょっとアタマのいい人にも及びました。医者とか弁護士、さらには学校の先生の多くも殺害されました。
 それゆえ、今の壮年~中年、ポル・ポト時代に子どもだった人のほとんどは、学校を知りません。教師がいないのだから当然のことです。
 彼らは文字を読むことができません。簡単な計算もできません。
 カンボジアには書店があまりなく、新聞を売っているところも滅多にないのですが、読める人がすくないためです。

 だが、彼女はそうではない。かなり語学が達者です。自国語はむろんのこと、英語もできます。残念ながら披露するところは見ることができなかったが、中国語も得意だそうです。学校に通って習い覚えたといいます。
「きみはそんなにいろんな言葉が話せるのに、お父さんやお母さんは学校を知らないんだろう?」
「ええ、そうです」
「困ったりはしないの?」
「困る? なにが?」
 問い直しました。
「お父さんお母さんは、きみのことを何と言ってるんだい?」
「とくには……ふつうですよ」
 彼女はどうやら、なぜこちらがあわてているかわからないらしい。そりゃそうだ、こっちだって、何が問題であるのか、わかっていない。

 エジプトに、こんな伝説があるそうです。
 田舎の神様が、文字を発明して人間に教えた。田舎の神様は得意だった。
「文字があれば、ものごとを正確に伝えることができる。て記録しておくことができる。人間は俺に感謝するだろう」
 都会の神様はこれを悲しみ、ため息まじりに言ったといいます。
「おまえはとんでもないことをしたんだよ。文字を得たおかげで、人間はモノ覚えが悪くなってバカになる。些細なことも記憶していられなくなる。しかも、誰もそうなることを望んではいなかったんだ。文字がなくて困ってる人なんて、誰もいなかった」

 そう、文字がなくたって困らない。文字がないとたいそう不便だろうと思うのは、文字がある人たちだけです。
 カンボジアの女の子もそう思っているのでしょう。だからこちらの当惑が不思議なのです。文字を得たおかげで、失うものもある。文字を覚えるには、その覚悟がいる。彼女のお父さんとお母さんは、彼女が備えていないものを、たしかに持っている。そんなあたりまえのことを、どうして聞くんだろう?

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