1 華厳経
『華厳経』の元となった経典が成立したのは、インドのどこかだろうと言われています。ただし、そのときには『華厳経』という名前はありませんでした。あったのは、それぞれが独立してほとんど関連のない複数の経典だったのです。
やがて、それらの経典は中央アジアのホータンに入りました。ホータンとは、タクラマカン砂漠に接したオアシス都市です。ラクダがたくさんいるところだよといえば、イメージがわく人でしょう。現在は中国領になっていますが、当時から養蚕すなわち絹の生産がさかんでした。
『華厳経』はホータンでつくられました。関連のあまりない複数の経典をひとつにまとめ、『華厳経』という名前をつけたのです。複数のお経をひとつにしたのですから、すさまじい大部になりました。また、かつては独立した別の経典をひとつにしたのですから、正直言ってまとまりはありません。
出自の異なるものをひとつにしたのは、ひとつには運搬の便がよかったからでしょう。
『華厳経』はやがて中国に伝わり、朝鮮半島を経て日本に伝えられますが、独立した経典であったなら、伝えられるものもそうでないものもあったはずです。しかし、ひとつの経典ならばそのすべてを伝えることができます。
中国では華厳経を奉ずる華厳宗が成立し、それが日本に伝わりますが、そうした展開もこれが「ひとつの経典」と考えられていたためです。華厳経の教えは日本ではとても重要なものとされ、現在でも奈良の大仏さまに毎日あげられているお経は華厳経です。明恵上人はもっとも長く、深い夢の記録を記した人として世界的に有名ですが、彼も華厳宗のお坊さんでした。
独立した小さな経典をまとめあげ、『華厳経』という大部のお経をつくった理由はもうひとつあります。
こけおどしのためです。
大部のお経は、それだけでなにか重要なことが記されているように思えます。独立した別々の経典がいくつもあったのでは、これは望めません。
また、当時は現在流通しているような紙がまだ発明されていませんでした。大部を扱うということは、経済的に豊かであることの証明でもあったのです。逆に言うと、『華厳経』はそれだけのお金をかけて、時間をかけて、労力を費やして運ぶべきものであると考えられたということでしょう。
『華厳経』はシルクロードを席巻しました。インド、中央アジア・中国・朝鮮、そして日本。すべての国で『華厳経』は重く扱われることになったのです。
さらに、影響はシルクロードにとどまりませんでした。世界遺産に指定されたインドネシアはジャワ島の仏教遺跡ボロブドゥールは、『華厳経』の世界をかたどった部分があるといいます。
『華厳経』の語るところをひとことで表現することはできません。難解だというばかりではなく、成立の事情もあって、語られていることがたくさんあって、まとめるのが困難なのです。
その中からひとつだけ抽出して紹介しましょう。
今、ここにリンゴがあります。リンゴはその場所を占有してしまいますからその場所にリンゴ以外のものを置くことはできません。
ただし、リンゴは単体で存在しているのではない。数々の因縁の結果としてそこにある。
それが『華厳経』の考え方です。リンゴがそこにあるということは、作った農家があり、売った八百屋があるということです。さらに、あなたが欲したからそのリンゴはそこにあるので、リンゴの存在にはあなたの欲望も反映されています。ひとつのものは数々の要因(縁)によって構成されており、独立して存在するものなどないのだ。
ひとつのものはすべてであり、すべてのものはひとつである。一即一切、一切即一という『華厳経』の哲学は、そこから起こったといわれています。
「妙な話でしょ」
「そうだね。わかったようなわかんないような話だね」
彼は頭をかいた。何か言いたいことがあるのだろう。私にはそれがわかったが、彼が発言する前に自分が口を出した」
「『華厳経』って、私たちの生活にかかわりあるの? リンゴの話するとリンゴ安くなる? 知ってても役に立たない知識は、ないのと同じだと思う」
「手厳しいね。だが、おそらくは同じような理由によって、『華厳経』は廃れていったんだ」
「どういうこと?」
「『華厳経』の世界って美しいんだよ。華厳という名にもそれが現れている。あのね、仏様……如来って、すごく美しいんだ。金色の光を放っているらしいよ」
「へえ」
「その金色の光を放つ毛穴のひとつひとつに、金色の光を放つ仏がいる。そして、その毛穴の中にいる仏にも、無数の毛穴があり、金色の仏を宿している。無限の美しい光。それが『華厳経』だ」」
「まあ。『華厳経』ってマトリョーシカなのね」
彼は笑った。私がそういうことを言うのが好きみたいだ。
インド、中央アジア・中国・朝鮮、そして日本。さらにはジャワ島にまで。アジア全体が『華厳経』の美しい世界を想起している!
それはとても素晴らしいことのように思えますが、長くは続きませんでした。インドでは仏教そのものが勢いを失い、国民のほとんどがヒンズー教を信ずるようになりました。
ホータンはイスラム教の支配するところとなり、現代の中国はそれをそのまま併呑しました。中国・朝鮮の華厳宗は廃れ、日本では東大寺でこそまだ『華厳経』が読誦されていますが、結局、そんなお寺が増えることはなかったのです。
難解だったことも大きな要因になっていると思われます。『華厳経』には深い哲学はあるが、わかりやすい利益はなかったのです。
『華厳経』を「わかった」と語る人も、その理解は千差万別で、まったく異なっているでしょう。もともとが寄せ集めであったことも大きいのでしょうが、『華厳経』は統一見解を広めることができませんでした。
女帝・則天武后は政治をほしいままにした悪女として有名ですが、仏教を手厚く庇護したことでも知られています。
彼女が、中国華厳宗の開祖のお坊さんに尋ねたそうです。
「華厳経とは、何を主張している経典か」
お坊さんはみごとなたとえで答えましたが、果たしてそれは正しい理解に基づいたものだったのでしょうか。誰にも検証できません。お坊さんの説明で則天武后は理解したのでしょうか。彼女はたいへん聡明な人だったそうですが、だからわかったとはいえません。なにより、彼女の数々の事跡に、「これは『華厳経』の哲学の影響である」と指摘できるものがひとつもありません。
誰にも簡単に理解できるものではないこと。さらに苦労して理解したとしても、その報酬や見返り(利益)が約束されてないこと。それが、『華厳経』が遠ざけられた大きな理由だったと思われます。
「信仰は、見返りがなくても成立するのか」
聖書の『ヨブ記』のテーマはそれです。
物語の主人公ヨブは富裕な義人でしたが、ある日とつぜん多くの子と財産をすべて失います。みずからも皮膚病をわずらい醜くなり、それでも信ずることをやめなかったために、妻も友も彼のもとを去って行きます。
まさにすべてを失った彼を不幸にしたのは、神でした。神が彼の信仰を試すために、悪魔に数々の不幸を与えることを許したのです。
ヨブの行動は是か非か。彼には境遇を呪う以外、なにもないように思える。そういう人が大事な人を失ってまで、信仰は貫くものなんだろうか? 人はなんのために信ずるのか?
この問題はキリスト教世界ではたいへん重いものと考えられ、『ファウスト』や『カラマーゾフの兄弟』など、文学のテーマとして受け継がれることになりました。
やがて、それらの経典は中央アジアのホータンに入りました。ホータンとは、タクラマカン砂漠に接したオアシス都市です。ラクダがたくさんいるところだよといえば、イメージがわく人でしょう。現在は中国領になっていますが、当時から養蚕すなわち絹の生産がさかんでした。
『華厳経』はホータンでつくられました。関連のあまりない複数の経典をひとつにまとめ、『華厳経』という名前をつけたのです。複数のお経をひとつにしたのですから、すさまじい大部になりました。また、かつては独立した別の経典をひとつにしたのですから、正直言ってまとまりはありません。
出自の異なるものをひとつにしたのは、ひとつには運搬の便がよかったからでしょう。
『華厳経』はやがて中国に伝わり、朝鮮半島を経て日本に伝えられますが、独立した経典であったなら、伝えられるものもそうでないものもあったはずです。しかし、ひとつの経典ならばそのすべてを伝えることができます。
中国では華厳経を奉ずる華厳宗が成立し、それが日本に伝わりますが、そうした展開もこれが「ひとつの経典」と考えられていたためです。華厳経の教えは日本ではとても重要なものとされ、現在でも奈良の大仏さまに毎日あげられているお経は華厳経です。明恵上人はもっとも長く、深い夢の記録を記した人として世界的に有名ですが、彼も華厳宗のお坊さんでした。
独立した小さな経典をまとめあげ、『華厳経』という大部のお経をつくった理由はもうひとつあります。
こけおどしのためです。
大部のお経は、それだけでなにか重要なことが記されているように思えます。独立した別々の経典がいくつもあったのでは、これは望めません。
また、当時は現在流通しているような紙がまだ発明されていませんでした。大部を扱うということは、経済的に豊かであることの証明でもあったのです。逆に言うと、『華厳経』はそれだけのお金をかけて、時間をかけて、労力を費やして運ぶべきものであると考えられたということでしょう。
『華厳経』はシルクロードを席巻しました。インド、中央アジア・中国・朝鮮、そして日本。すべての国で『華厳経』は重く扱われることになったのです。
さらに、影響はシルクロードにとどまりませんでした。世界遺産に指定されたインドネシアはジャワ島の仏教遺跡ボロブドゥールは、『華厳経』の世界をかたどった部分があるといいます。
『華厳経』の語るところをひとことで表現することはできません。難解だというばかりではなく、成立の事情もあって、語られていることがたくさんあって、まとめるのが困難なのです。
その中からひとつだけ抽出して紹介しましょう。
今、ここにリンゴがあります。リンゴはその場所を占有してしまいますからその場所にリンゴ以外のものを置くことはできません。
ただし、リンゴは単体で存在しているのではない。数々の因縁の結果としてそこにある。
それが『華厳経』の考え方です。リンゴがそこにあるということは、作った農家があり、売った八百屋があるということです。さらに、あなたが欲したからそのリンゴはそこにあるので、リンゴの存在にはあなたの欲望も反映されています。ひとつのものは数々の要因(縁)によって構成されており、独立して存在するものなどないのだ。
ひとつのものはすべてであり、すべてのものはひとつである。一即一切、一切即一という『華厳経』の哲学は、そこから起こったといわれています。
「妙な話でしょ」
「そうだね。わかったようなわかんないような話だね」
彼は頭をかいた。何か言いたいことがあるのだろう。私にはそれがわかったが、彼が発言する前に自分が口を出した」
「『華厳経』って、私たちの生活にかかわりあるの? リンゴの話するとリンゴ安くなる? 知ってても役に立たない知識は、ないのと同じだと思う」
「手厳しいね。だが、おそらくは同じような理由によって、『華厳経』は廃れていったんだ」
「どういうこと?」
「『華厳経』の世界って美しいんだよ。華厳という名にもそれが現れている。あのね、仏様……如来って、すごく美しいんだ。金色の光を放っているらしいよ」
「へえ」
「その金色の光を放つ毛穴のひとつひとつに、金色の光を放つ仏がいる。そして、その毛穴の中にいる仏にも、無数の毛穴があり、金色の仏を宿している。無限の美しい光。それが『華厳経』だ」」
「まあ。『華厳経』ってマトリョーシカなのね」
彼は笑った。私がそういうことを言うのが好きみたいだ。
インド、中央アジア・中国・朝鮮、そして日本。さらにはジャワ島にまで。アジア全体が『華厳経』の美しい世界を想起している!
それはとても素晴らしいことのように思えますが、長くは続きませんでした。インドでは仏教そのものが勢いを失い、国民のほとんどがヒンズー教を信ずるようになりました。
ホータンはイスラム教の支配するところとなり、現代の中国はそれをそのまま併呑しました。中国・朝鮮の華厳宗は廃れ、日本では東大寺でこそまだ『華厳経』が読誦されていますが、結局、そんなお寺が増えることはなかったのです。
難解だったことも大きな要因になっていると思われます。『華厳経』には深い哲学はあるが、わかりやすい利益はなかったのです。
『華厳経』を「わかった」と語る人も、その理解は千差万別で、まったく異なっているでしょう。もともとが寄せ集めであったことも大きいのでしょうが、『華厳経』は統一見解を広めることができませんでした。
女帝・則天武后は政治をほしいままにした悪女として有名ですが、仏教を手厚く庇護したことでも知られています。
彼女が、中国華厳宗の開祖のお坊さんに尋ねたそうです。
「華厳経とは、何を主張している経典か」
お坊さんはみごとなたとえで答えましたが、果たしてそれは正しい理解に基づいたものだったのでしょうか。誰にも検証できません。お坊さんの説明で則天武后は理解したのでしょうか。彼女はたいへん聡明な人だったそうですが、だからわかったとはいえません。なにより、彼女の数々の事跡に、「これは『華厳経』の哲学の影響である」と指摘できるものがひとつもありません。
誰にも簡単に理解できるものではないこと。さらに苦労して理解したとしても、その報酬や見返り(利益)が約束されてないこと。それが、『華厳経』が遠ざけられた大きな理由だったと思われます。
「信仰は、見返りがなくても成立するのか」
聖書の『ヨブ記』のテーマはそれです。
物語の主人公ヨブは富裕な義人でしたが、ある日とつぜん多くの子と財産をすべて失います。みずからも皮膚病をわずらい醜くなり、それでも信ずることをやめなかったために、妻も友も彼のもとを去って行きます。
まさにすべてを失った彼を不幸にしたのは、神でした。神が彼の信仰を試すために、悪魔に数々の不幸を与えることを許したのです。
ヨブの行動は是か非か。彼には境遇を呪う以外、なにもないように思える。そういう人が大事な人を失ってまで、信仰は貫くものなんだろうか? 人はなんのために信ずるのか?
この問題はキリスト教世界ではたいへん重いものと考えられ、『ファウスト』や『カラマーゾフの兄弟』など、文学のテーマとして受け継がれることになりました。
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